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本ページでは松下幸之助の言葉を引用しながら、松下幸之助の残した言葉について考察するページだ。
全文に加えて筆者の主観を交えた感想も一緒にお届けしていく。
経営の父と呼ばれた松下幸之助の言葉を胸に刻むきっかけとなれば幸いだ。
松下幸之助の言葉は、全て下記の『道をひらく』シリーズから引用している。紙媒体で読みたいという人は是非、購入して熟読して頂きたい。
人生に活路が開き、イキイキとした毎日を過ごせるようになる
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生と死 人生とは、1日1日が、いわば死への旅路であると言えよう。 生あるものがいつかは死に至るというのが自然の理法であるかぎり、 ものみなすべて、この旅路に変更はない。 ただ人間だけは、これが自然の理法であることを知って、 この旅路に対処することができる。 いつ死に至るかわからないにしても、 生命のある間に、これだけのことをやっておきたいなどと、 いろいろに思いをめぐらすのである。 これは別に老人だけに限らない。 青春に胸をふくらます若人が、 来るべき人生に備えていろいろと計画するのも、 これもまた死への準備にほかならないと言える。 生と死とは表裏一体。 だから、生の準備はすなわち死の準備である。 死を恐れるのは人間の本能である。 だが、死を恐れるよりも、死の準備のないことを恐れた方がいい。 人はいつも死に直面している。 それだけに生は尊い。 そしてそれだけに、与えられている生命を最大に生かさなければならないのである。 それを考えるのがすなわち死の準備である。 そしてそれが生の準備となるのである。 おたがいに、生あるものに与えられたこのきびしい宿命を直視し、 これに対処する道を厳粛に、 しかも楽しみつつ考えたいものである。
毎日、毎日、我々は日々「死」に近づいている。
紛れもない事実であるが、誰しもが目を背けたくなる事実でもある。
どこかの有名大学の研究では、毎日「死」について考えた人は、考えなかった人に比べて幸福度が高い、という論文結果もあった。
どこの有名大学かは存じ上げないが、
とにかく、毎日我々は「死」に向かい続けている中で、限られた生の時間を大切に生きなければいけない。
「自分が死ぬときは、何があれば幸せか?」
「自分が死ぬときは、どんな状態がよいか?」
と常に考えを巡らすことだ。
天国に、金も名誉も地位も持ってはいけない。
残された者達に何を残して何を繋げていけるか、が重要なのだろう。
家族、地域、都市、国家のために何を残せるだろうか。
そうゆう想いを持って生きる人は、やはり覚悟が違うと感じる。
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